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休みの日も地元でゆっくり。西宮の週末の過ごし方を紹介します。

こうすけの 百間樋探訪

 阪急甲東園駅のプラットホームは、関西学院大学に通う学生さんでいっぱいです。そんな学生さんに続いてのそりのそりと階上の改札口へ向かいます。今日の西宮散歩は甲東園駅からスタート。どこかに行くという目的など全くなく、ふらりふらりと駅の周辺をさまよいます。なんとなく踏切を渡って駅の東側に出ます。

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今日の散歩は阪急甲東園駅から。



 そのまんま東に進み、中津浜線を横断します。中津浜線沿いには人気のラーメン店があって、昼食時ともあって大盛況です。段上若宮八幡神社の前を通ってさらに進んで行きます。この辺りは農地と住宅地が混在していますが、かつては住宅やマンションなどなく、田畑が一面に広がっていたことでしょう。やがて南北に流れる水路を発見します。豊かな水量で、おそらく農業用水として通されたものだろうと推察します。宅地開発が進んだ今となっても、流れは変わらずにあるようです。

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豊かな水量の水路に遭遇します。



 とくに行く当てもない散歩なのだから、この水路を上流に向かって辿ってみることに。源流探しというのも何だか男のロマンのようです。という訳で、水の流れる心地よい音を聞きながらの散歩が始まります。左を見れば家々の間からうっすら霧がかった甲山と六甲連山が姿を見せます。

 途中でなんだかの役割を担う水路の施設があって、そこには「富倉川分水堰」の文字があって、今遡ってきた水路が富倉川という名を持つことが分かります。ふと右をみれば、畑を挟んだ50メートルほど東にも同じような水路があるようです。そっちにも行ってみましょう。

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富倉川の東にも同じような水路があるようです。



 こちらの水路も水量豊かで、同じような水路が南北に平行して流れていることになります。流れてくる方向から察するに、おそらく二つの水路とも仁川から水を引いていると思われます。二つの流れのそれぞれの源を知りたいのですが、「二兎を追うもの一兎をも得ず」という教訓を思い出し、東側の水路に専念して遡ることにします。

 
 しばらく歩くと「百間樋川」と書かれた石柱があります。

 
 百間樋かぁ。どこかで聞いたことがあるぞ。さてさていったい、百間樋ってなんじゃろかいな?水の流れに尋ねるものの、チョロチョロささやくだけで答えになっておりません。


 百間といえば「阿房列車」で有名な内田百間先生。百間の名は故郷の岡山を流れる百間川に由来します。水の流れを遡るように、さらにその百間川の由来を辿っていきますと、川の幅(堤防含む)が百間(180メートル)あったからだとか。江戸時代初期、旭川の氾濫を防ぐための放水路として岡山藩主池田光政公の命により造られた百間川は大きな川なのですね。

 百間川の川幅と比べると、100分の1にも満たない小さな百間樋川ですが、人の力によって造られた川(水路)という点は変わらず、昔の人の土木技術の高さをうかがうことができます。

 そして、川に関わる樋か何かが百間の長さを持っているんじゃないのかと推理は深まっていきます。

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百間樋川かぁ。どこかで聞いたことあるぞ。



 さらに北へ、百間以上流れを遡ります。百間は幅でもなければ長さでもないようです。一体何が百間なのか、、、、、。

 老人ホームのあたりで川の流れにはフェンスが設置され、川に沿って進むことができなくなります。

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川に沿って進むことが不可能に、、、、、。



 そうだ!もう一兎がいるじゃないか!一旦追われることから逃れられていたもう一兎、つまり富倉川の上流と思われる流れが15メートルほど西にあります。これ幸いと遡りますが、100メートルもせずに百間樋川と流れがつながります。この地で川が二又に分かれているという訳。これを「一石二鳥」とでも言うのでしょうか。

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水の流れが二又に分かれる。




 それで以って、水はどこから流れてきているかと申しますと、トンネルのような場所から水が湧いて出てくるではありませんか?さすがに潜水してまで流れを遡ることはできません。

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トンネルのような所から水が湧き出しています。



 トンネルの上は公園になっていて、そこに百間樋についての解説があります。その解説によりますと天正2年(1574年、つまり岡山の百間川築造より以前)に武庫川の水を取水し、仁川の川床の下を長さ百間の樋でくぐらせて水を引いたとのこと。川を遡っていた時には、昔の人の土木技術の高さに感心していたのですが、そういう事実を知ると感心を通り越して感激すら覚えます。

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百間樋についての解説。なるほど!



 ということは、仁川の水を引いたのではという先ほどまでの推測はものの見事に外れたことになります。少し悔しいので、自分の目で確かめようと仁川の堤に出ますと、、、、、、、。



 川が涸れている、、、、、、、。

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川の水が涸れています。



 豊かな水量の百間樋川に富倉川、ここからあの水は生み出せません。一人納得して対岸へ渡ります。暗渠(地中に埋設された水路)の上は武庫川の方に伸びているのですが、フェンスがあって入ることかないません。この近くには阪神競馬場があって、本日は競馬開催日のようです。おそらく逃げ出した馬を捕まえる業務に従事していると思われるガードマンが、道路上に等間隔に配置されています。その中の一人に暗渠の先を辿る道を尋ねますが、住宅を挟んで暗渠の左右にある道はどちらも行き止まりと教えてくれます。おそらく逃げ出した馬はこの行き止まりに追い込まれるのでしょう。さすがにガードマンはよくご存知です。

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暗渠の上にはフェンスがあって入ることかないません。



 近くにはバス停があって、甲東園ゆきのバスがあと3分で来るようです。それに乗って甲東園駅に戻ることにしましょう。行き当たりばったりで探訪した百間樋川、また今度事前に準備をして地図を持って詳しく探訪してみたいものです。そして下流の方も探索してみたいものです。西宮には小さな探訪の場がいろいろあるものです。

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バスに乗って甲東園駅に戻ります。



 甲東園駅に戻ってすっかりお腹がすいていたことを急に思い出します。何を食べようかと思案しながら、ふらりふらりと駅の周辺をさまよいます。なんとなく踏切を渡って駅の東側に出ます。

 そこにあったのはタイ料理のレストラン。

 国内の河川があの仁川のように涸れてしまっては、米が不作になって米騒動が起こるものです。水不足ではなく冷夏が原因でしたが、平成5年(1993年)は大変な米不足でたいそうな騒動になりました。あの時、タイから米が緊急輸入されたのを思い出します。そうかぁ、タイも米の国だなぁ。同じように田に水を引くための土木工事が行われていたのかなぁと思いつつレストランの中に。

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タイ国料理店 イサラ



 店内にはタイの音楽が流れ、タイの雑貨などが飾られており、異国情緒に溢れております。タイ料理の魅力は、中国料理、インド料理など周囲の国々の影響を受けた甘・辛・酸の豊かなバリエーションにあるそうです。

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異国情緒溢れる店内。



 注文を訊かれて、「米!米ください!」と即答。おすすめは「蒸し鶏ごはん」とのこと。タイでは屋台などでも提供されるポピュラーな料理だそうです。

 待つことしばし、テーブルに運ばれてきた蒸し鶏ごはん。おぉ!美味しそうじゃないですか。早速パクリ。


 こうすけ      「美味しい~!!」


 鶏肉も柔らかくて美味しいのですが、なにが美味しいかといえばやはり米。ジャスミンライスというタイの高級銘柄だそうで、タイの水田の風景を想像しながらパクパク、モグモグ。あっという間に完食です。

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本日の昼食 蒸し鶏ごはん。おいしゅうございました。



 「イサラ」というのはタイの言葉で自由を意味するそうです。

 なんのあてもなく始めた本日の散歩。偶然出くわした農業用水に興味をひかれ、その源流を目指しての探訪となりました。それを通じて昔の人の大工事を知ることができました。そして最後は美味しいタイ料理。真昼間からビール飲んでほろ酔いのこうすけさん。全く以って自由な休日を過ごしております。

 「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。」(第一阿房列車より)というような内田百間先生の精神の100分の1くらいは持ち合わせているでしょうか。




by nishinomiyacci | 2016-05-31 00:23