こうすけの にしのみや日本酒学校(日本盛さんの巻)
「わぁ!高見山だぁ~っ!!」
今をさかのぼること○○年前、幼稚園の年少組に通っていたこうすけちゃんの家は日本盛さんの本社正門の向かいにあったのでした。周辺には至る所に黒い木造の酒蔵などがあって、幼稚園に行く時や公園に遊びに行く時に、酒の匂いが嫌で嫌で鼻をつまんで酒蔵の横を駆け抜けたものでした。
いつもと同じように家の前の路地でコマ(補助輪)付の自転車に乗って遊んでいたところ、向かいの日本盛さんに一台の車がやってきて、角界の人気者高見山関がのっそり車から降りていったのでした。背広を着た大人が大勢ニコニコ笑いながら拍手で迎え、濃紺の和服姿の高見山関もニコニコ笑って大きな手を振っています。ブラウン管の中の人が目の前に突然現れたので、こうすけちゃん大興奮!!夢中で小さな手を振ったのでした。
たしか威勢よく鏡開きも行われ、掛け声と歓声が沸いたような、、、、。
しかし、それももうだいぶ昔の話。記憶もあいまいで、ひょっとしたら幼い頃に見た夢なのかもしれません。

かつて高見山関が鏡開きをしていたかもしれない日本盛さんの本社正門。
西宮の酒造会社の酒蔵をキャンパスに見立てて日本酒のことを学ぼうという「にしのみや日本酒学校」。昨年10月に西宮神社で入学式が行われ、11月に白鷹さん、12月に白鹿さん、年が改まり1月に大関さんで授業が行われました。そして2月の今回が最後、日本盛さんでの授業となります。本社正門から昔幼いこうすけちゃんがコマ付自転車で疾走していた用海筋を南へ下り、最初の交差点を左折、酒蔵通りを今津・甲子園方面に進むとお洒落なレンガ造りの建物が現れます。日本盛さんの酒蔵通り煉瓦館に日本酒学校の生徒が集まります。

お洒落な「日本盛 酒蔵通り煉瓦館」
煉瓦館の中では日本酒はもちろんのこと粕漬けや酒器など、さらには化粧品までも販売されております。レストランやガラス工房もありひと昔前ではちいと考えられない日本酒の新しい世界が繰り広げられています。こりゃ若い女性にとってたいそう魅力的なものでしょう。

煉瓦館の中には日本酒の新しい世界が。
2階の教室に入り授業が始まるまでの間、生原酒(火入れを行わないことによって鮮度感あふれる風味が愉しめる商品だそうです。)に関する映像を見て日本盛さんの酒造りの姿勢を学びます。

日本盛さん自慢の生原酒。
定刻になり授業が始まります。先ずは酒蔵の見学です。二つのチームに分かれてイヤホンを耳に装着し外に出ます。課外授業かぁ。ワクワクしてきます。

イヤホンを装着していざ現場へ!
私のグループの先生は原先生。倉庫に納められた酒米がどのパイプを通って次の洗米の工程に行くのかなど親切に解説してくれます。そんな酒米が通るパイプの下を追うように本蔵に向かいます。

先生に従い本蔵に向かいます。
本蔵の中に入り衛生のため白衣を着ます。まるでドラマで見る院長先生の御回診のように白衣の列ができます。
イヤホンを通じて原先生の話を聴くのですが、印象に残ったのは浸漬(しんせき)という洗米後の米に水を吸わせる工程の話です。なんでも酒米の微妙な違いやその日の環境(温度や湿度)などに応じて分単位で調整をしているとのこと。「先生、聞いてくださいよ。うちの家内殿なんて日によって水加減間違ってベチャベチャご飯炊いたりするんですよ。私固めのが好きなんですけどね。」いやいやここは学びの場であって愚痴をこぼす場ではありませんでした。
また、洗米工程の部署に置かれた米の紙袋も印象に残ります。大量生産する製品の米については前述の通り複雑に張り巡らされたパイプの中を通っていくのですが、こだわりの商品については米の精米歩合も高いこともあり米を傷つけないために人間の手で蔵に運ばれるそうです。機械化された工場の中にも繊細さがキラリと光ります。
そして仕込みの場に足を踏み入れます。タンクの中をうかつに覗くと酸欠になって倒れてしまうそうで、酒造りの現場というのも命懸けだなぁと気を引き締めます。とはいえ、なんだかフワフワと気持ちよくいい香り。かつてこれを香りと言わず匂いと言って嫌がり、鼻をつまんで避けていた幼児も立派に成長したものです。
数あるタンクには初添、踊り、仲添、留添という仕込みの段階が一目で分かる管理表が各々掲示されています。アルコール発酵により醪(もろみ)の表面にブクブクと泡が立つ様は日本酒が生物であることを物語ります。そして、仕込みの段階によって泡の立ち方が違うことが先生の解説でよく理解できます。
普段入ることができない日本酒造りの現場を自身の目で見ることができて大満足でした。

意味深に並べられたAとB。
有意義な課外授業を終えて教室に戻ると机の上には意味深にA、Bと二つのカップが並びます。
後半の教壇に立たれるのは煉瓦館の支配人を務めておられる吉岡先生。先生は学生一同にA,Bの飲み比べを促します。それでどちらが好みかを問われます。Aと答えた学生は19名、Bと答えた学生は12名、私はといいますと迷わずA!
学生の嗜好が明らかになったところでAとBの正体が明かされます。
Aは日本盛特別大吟醸。一方Bは獺祭三割九分とのこと。獺祭という銘柄は最近大人気のようで、なかなか口にすることができないものだそうです。私もチラッとその名は聞いたことはありましたが、初めて飲ませていただきました。そんな人気の酒より西宮の酒を迷わず選んだ故郷愛溢れる私、ある意味嬉しくなります。先生の話では若い人はBの方を好む傾向があるとのこと、ひょっとしたらコマ付自転車を乗り回していた若い頃なら私もBを選んだかもしれません。
引き続き吉岡先生の講義が続きます。営業の最前線で長らく活躍された先生の話は面白おかしく多岐にわたります。
人気の獺祭を造っている旭酒造さんの社長さんはかつて日本盛さんの社員だったことから縁が生まれ、獺祭の特約店になっていること。現在の日本酒業界の話。日本盛さんで行われる蔵開きなどのイベントの様子。日本盛さんが造っている惣花という銘柄は宮内庁御用達であること。さらには美味しい甘酒の作り方などなど。
講義の途中ではその美味しい甘酒が出てきて身も心も温まります。講義が終わり、最後に生原酒のボトル缶2本と酒粕のお土産までいただきます。

甘酒で身も心も温まります。
下校の際に吉岡先生に質問してみます。
こうすけ 「先生。○○年前昭和××年頃に正門の向かいに住んでいたんです。その時高見山関が来たように記憶しているのですが、間違いないでしょうか?」
吉岡先生 「ええ。間違いありません。いろんな関取が来られました。高見山関もおいでになってますよ。」
どうやら夢ではなかったようです。煉瓦館をあとに再度幼い頃遊んだあの路地に向かいます。

かつて高見山関が鏡開きをしていた日本盛さんの本社正門。
かつて高見山関が鏡開きしたであろう中央に力強く「日本盛」の銘が書かれた酒樽には「百姓昭明 協和萬邦」という文言があります。「百姓昭明 協和萬邦」は昭和という元号の由来となった中国の古典「書経」の一節であります。
あぁ昭和かぁ。
先ほどの吉岡先生の話では高見山関をはじめ多くの関取がこの地にやって来た時代が国内の日本酒消費量のピークだったようです。今ではピーク時の3分の1程度まで落ち込んでいるようで、昭和も遠くなりにけりの感が強くなります。それでも西宮の日本酒には伝統を守りながらも先を切り開く精神やセンスがあるように思えてなりません。これは「にしのみや日本酒学校」という機会を通じて各蔵元で学ばせていただいての率直な感想です。
「わぁ!高見山だぁ~っ!!」
同じ場所に立っていくら懐かしがってもかつてのこうすけちゃんの声を聴くことなんて叶いません。だけれども、伝統に支えられた西宮の日本酒が創造していく新たな物語りに心躍らせることはできるものです。
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今をさかのぼること○○年前、幼稚園の年少組に通っていたこうすけちゃんの家は日本盛さんの本社正門の向かいにあったのでした。周辺には至る所に黒い木造の酒蔵などがあって、幼稚園に行く時や公園に遊びに行く時に、酒の匂いが嫌で嫌で鼻をつまんで酒蔵の横を駆け抜けたものでした。
いつもと同じように家の前の路地でコマ(補助輪)付の自転車に乗って遊んでいたところ、向かいの日本盛さんに一台の車がやってきて、角界の人気者高見山関がのっそり車から降りていったのでした。背広を着た大人が大勢ニコニコ笑いながら拍手で迎え、濃紺の和服姿の高見山関もニコニコ笑って大きな手を振っています。ブラウン管の中の人が目の前に突然現れたので、こうすけちゃん大興奮!!夢中で小さな手を振ったのでした。
たしか威勢よく鏡開きも行われ、掛け声と歓声が沸いたような、、、、。
しかし、それももうだいぶ昔の話。記憶もあいまいで、ひょっとしたら幼い頃に見た夢なのかもしれません。

かつて高見山関が鏡開きをしていたかもしれない日本盛さんの本社正門。
西宮の酒造会社の酒蔵をキャンパスに見立てて日本酒のことを学ぼうという「にしのみや日本酒学校」。昨年10月に西宮神社で入学式が行われ、11月に白鷹さん、12月に白鹿さん、年が改まり1月に大関さんで授業が行われました。そして2月の今回が最後、日本盛さんでの授業となります。本社正門から昔幼いこうすけちゃんがコマ付自転車で疾走していた用海筋を南へ下り、最初の交差点を左折、酒蔵通りを今津・甲子園方面に進むとお洒落なレンガ造りの建物が現れます。日本盛さんの酒蔵通り煉瓦館に日本酒学校の生徒が集まります。

お洒落な「日本盛 酒蔵通り煉瓦館」
煉瓦館の中では日本酒はもちろんのこと粕漬けや酒器など、さらには化粧品までも販売されております。レストランやガラス工房もありひと昔前ではちいと考えられない日本酒の新しい世界が繰り広げられています。こりゃ若い女性にとってたいそう魅力的なものでしょう。

煉瓦館の中には日本酒の新しい世界が。
2階の教室に入り授業が始まるまでの間、生原酒(火入れを行わないことによって鮮度感あふれる風味が愉しめる商品だそうです。)に関する映像を見て日本盛さんの酒造りの姿勢を学びます。

日本盛さん自慢の生原酒。
定刻になり授業が始まります。先ずは酒蔵の見学です。二つのチームに分かれてイヤホンを耳に装着し外に出ます。課外授業かぁ。ワクワクしてきます。

イヤホンを装着していざ現場へ!
私のグループの先生は原先生。倉庫に納められた酒米がどのパイプを通って次の洗米の工程に行くのかなど親切に解説してくれます。そんな酒米が通るパイプの下を追うように本蔵に向かいます。

先生に従い本蔵に向かいます。
本蔵の中に入り衛生のため白衣を着ます。まるでドラマで見る院長先生の御回診のように白衣の列ができます。
イヤホンを通じて原先生の話を聴くのですが、印象に残ったのは浸漬(しんせき)という洗米後の米に水を吸わせる工程の話です。なんでも酒米の微妙な違いやその日の環境(温度や湿度)などに応じて分単位で調整をしているとのこと。「先生、聞いてくださいよ。うちの家内殿なんて日によって水加減間違ってベチャベチャご飯炊いたりするんですよ。私固めのが好きなんですけどね。」いやいやここは学びの場であって愚痴をこぼす場ではありませんでした。
また、洗米工程の部署に置かれた米の紙袋も印象に残ります。大量生産する製品の米については前述の通り複雑に張り巡らされたパイプの中を通っていくのですが、こだわりの商品については米の精米歩合も高いこともあり米を傷つけないために人間の手で蔵に運ばれるそうです。機械化された工場の中にも繊細さがキラリと光ります。
そして仕込みの場に足を踏み入れます。タンクの中をうかつに覗くと酸欠になって倒れてしまうそうで、酒造りの現場というのも命懸けだなぁと気を引き締めます。とはいえ、なんだかフワフワと気持ちよくいい香り。かつてこれを香りと言わず匂いと言って嫌がり、鼻をつまんで避けていた幼児も立派に成長したものです。
数あるタンクには初添、踊り、仲添、留添という仕込みの段階が一目で分かる管理表が各々掲示されています。アルコール発酵により醪(もろみ)の表面にブクブクと泡が立つ様は日本酒が生物であることを物語ります。そして、仕込みの段階によって泡の立ち方が違うことが先生の解説でよく理解できます。
普段入ることができない日本酒造りの現場を自身の目で見ることができて大満足でした。

意味深に並べられたAとB。
有意義な課外授業を終えて教室に戻ると机の上には意味深にA、Bと二つのカップが並びます。
後半の教壇に立たれるのは煉瓦館の支配人を務めておられる吉岡先生。先生は学生一同にA,Bの飲み比べを促します。それでどちらが好みかを問われます。Aと答えた学生は19名、Bと答えた学生は12名、私はといいますと迷わずA!
学生の嗜好が明らかになったところでAとBの正体が明かされます。
Aは日本盛特別大吟醸。一方Bは獺祭三割九分とのこと。獺祭という銘柄は最近大人気のようで、なかなか口にすることができないものだそうです。私もチラッとその名は聞いたことはありましたが、初めて飲ませていただきました。そんな人気の酒より西宮の酒を迷わず選んだ故郷愛溢れる私、ある意味嬉しくなります。先生の話では若い人はBの方を好む傾向があるとのこと、ひょっとしたらコマ付自転車を乗り回していた若い頃なら私もBを選んだかもしれません。
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人気の獺祭を造っている旭酒造さんの社長さんはかつて日本盛さんの社員だったことから縁が生まれ、獺祭の特約店になっていること。現在の日本酒業界の話。日本盛さんで行われる蔵開きなどのイベントの様子。日本盛さんが造っている惣花という銘柄は宮内庁御用達であること。さらには美味しい甘酒の作り方などなど。
講義の途中ではその美味しい甘酒が出てきて身も心も温まります。講義が終わり、最後に生原酒のボトル缶2本と酒粕のお土産までいただきます。

甘酒で身も心も温まります。
下校の際に吉岡先生に質問してみます。
こうすけ 「先生。○○年前昭和××年頃に正門の向かいに住んでいたんです。その時高見山関が来たように記憶しているのですが、間違いないでしょうか?」
吉岡先生 「ええ。間違いありません。いろんな関取が来られました。高見山関もおいでになってますよ。」
どうやら夢ではなかったようです。煉瓦館をあとに再度幼い頃遊んだあの路地に向かいます。

かつて高見山関が鏡開きをしていた日本盛さんの本社正門。
かつて高見山関が鏡開きしたであろう中央に力強く「日本盛」の銘が書かれた酒樽には「百姓昭明 協和萬邦」という文言があります。「百姓昭明 協和萬邦」は昭和という元号の由来となった中国の古典「書経」の一節であります。
あぁ昭和かぁ。
先ほどの吉岡先生の話では高見山関をはじめ多くの関取がこの地にやって来た時代が国内の日本酒消費量のピークだったようです。今ではピーク時の3分の1程度まで落ち込んでいるようで、昭和も遠くなりにけりの感が強くなります。それでも西宮の日本酒には伝統を守りながらも先を切り開く精神やセンスがあるように思えてなりません。これは「にしのみや日本酒学校」という機会を通じて各蔵元で学ばせていただいての率直な感想です。
「わぁ!高見山だぁ~っ!!」
同じ場所に立っていくら懐かしがってもかつてのこうすけちゃんの声を聴くことなんて叶いません。だけれども、伝統に支えられた西宮の日本酒が創造していく新たな物語りに心躍らせることはできるものです。
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by nishinomiyacci
| 2016-02-16 07:18