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休みの日も地元でゆっくり。西宮の週末の過ごし方を紹介します。

こうすけの 震災追憶の記

 目覚めた時にはすでに6時をまわっておりました。



 あの日は突然大地が轟音とともに揺れ動いたので、起きるつもりもなかったにも関わらず叩き起こされたのでした。

 しかし、あの日西宮の町では多くの人が6時を迎えることができなかったのです。


 あの日から20年。満池谷の震災記念碑公園に震災発生時刻である5時46分に行って追悼の祈りをささげようと思っていたのですが、寝過ごしてしまいました。言い訳をさせていただきますと、年末年始の暴飲暴食のツケがまわってきまして、前の日より足の先がジンジンと鈍く痛むのです。これこそ、かのアレクサンダー大王に、宗教改革のルター、文豪ゲーテ、天才科学者ニュートンなど歴史上の偉人も患ったという帝王病こと痛風の発作の前兆なのであります。風が吹くだけでも激痛が走るというあの発作がいつ襲ってくるかとヒヤヒヤしているとなかなか寝付くことができなかった訳で、これぞ寝坊の理由。

 激痛は予想されるのですが、あの日はだれも激震を予想しませんでした。


 新聞を広げると一面は震災20年の記事です。テレビをつけ神戸のサンテレビにチャンネルを合わせます。震災関連の番組かと思いきや、テレビショッピングの番組です。肩すかしを喰らったようですが、これも何物にも換え難い平穏な日常というものなのでしょう。

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あの日より20年の月日が流れました。



 少し足が痛むものの杖をついて追憶の散歩に出ることにします。朝の陽ざしが優しく差し込む坂道を下っていきます。あの日どんな天気だったのか思い出そうと試みますが、とうとう思い出されません。

 まもなく越木岩公民館に到着。ここは避難所になっており、近隣の北夙川小学校には遺体が安置されておりました。当時大学生だった私はボーイスカウトの一員として水道局や避難所の奉仕に連日出向きました。ここ越木岩公民館にも奉仕に来ました。

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当時避難所になっていた越木岩公民館



 避難所の夜の当番では時間を持て余すことがあって、そのひまつぶしのために大クロスワードパズルがあり、前任の当番から引き継ぎ、時間がある時にパズルを解いて、また後任の当番に引き継いでいたのでした。

 大クロスワードパズルが終盤にさしかかる頃、どうしても上手くいかない箇所が出てきまして、諸悪の根源を遡ると、先輩のYちゃんが「タイツ」と解答すべき箇所を「パッチ」と誤答していたことが判明。みんなに迷惑かけておきながらも全く悪びれる様子もなかったYちゃんは今頃どうしているでしょう。

 
 越木岩公民館のエレベーター塔は震災によりズレが生じましたが、その修復はツギハギのように隙間を埋めて行われました。今では見慣れているせいか最初からそうだったような気さえします。

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本館とエレベータ塔の間の銀色の部分は震災後の修復部分



 越木岩公民館をあとに東へ進みます。阪急電車の甲陽線を渡り満池谷の震災記念碑公園へ。記帳の受付があり、献花用に白いカーネーションが用意されています。ポツポツと追悼の為に人が訪れます。市内の犠牲者1081名の名前が刻まれた犠牲者追悼之碑の前に立つと急にあの日の気持ちがよみがえってきます。失われた尊い生命の名前のひとつひとつが涙を誘います。悲しいというのか、悔しいというのか、文字にできない感情がこみあげます。いつのまにか足の痛みは消えていきましたが、かわりに心が痛みだしました。

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どうか安らかにお眠りください。



 震災記念碑公園をあとに阪急夙川駅に向かいます。あの日、被害の大きさを正しく掴めていなかった私は大学に行くため明日電車が動くかどうか夙川駅の駅員さんに尋ねたのでした。


夙川駅の駅員さん    「明日!?動く訳ないでしょう!!」

大学生のこうすけ    「えっ?じゃぁ明後日は?」

夙川駅の駅員さん    「当分無理ですよ。見込みがたちません。」


 そりゃそうですわな。高架は崩れ線路はグニャグニャ。神戸方面は線路上にビルが倒れているじゃないですか。鉄道模型の世界ならいざ知らず、これで明日復旧しますかなどとよく訊けたものです。今から思えば恥ずかしい限りですが、それだけ未遭遇の大災害だった訳です。結局、阪急神戸線の夙川・西宮北口間が復旧し神戸線が全線復旧したのが146日後の6月12日となりました。

 夙川駅の南には夙川公民館があり、現在耐震工事中です。

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夙川公民館は現在耐震工事中



 夙川公民館には道路との間に段差があるのですが、これは震災により生じた段差です。震災前は同じ高さだったのでした。見慣れているせいか最初からあった段差のようですが、これも震災の爪跡です。

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震災直後の夙川公民館(掲示されていたパネルから)



 おそらく夙川公民館の前に架かる橋にある段差も震災により生じたもののはずです。たぶんそうだと思うのですが、20年という歳月はどうも人の記憶を曖昧にさせてしまうようです。

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この橋の段差も震災により生じたものと思うのですが



 公民館から南に進むとJRの東海道本線があります。その線路の北側に人が通れるだけの小さな橋があったのですが、その橋は震災で崩れ復旧されることはありませんでした。今は橋があったことを示す標識が墓標のように立っています。

 この近くのマンションでは倒壊により神戸大学の学生さんが多く亡くなりました。一方で今も生きている自分、生かされているという実感は同じ世代の死によって湧いてきます。

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小さな橋は復旧することもありませんでした。



 国道2号線を小学生が列を作って横断します。ヘルメットを被ったおじさんに訊いてみますと、香枦園小学校の避難訓練だそうです。災害時に運悪く痛風の発作がおきていたら私逃げられないな。それとも痛みに号泣しながらも避難できるものなのでしょうか。う~ん?いい年した大人が号泣するなんてみっともない。小学生に笑われそうです。

 国道2号線には体操教室があり、そこには震災当時を振り返る写真パネルが掲示されて道行く人が足を止めて写真に見入っています。また震災で生じた壁の亀裂が生々しく紹介されています。

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震災で生じた亀裂が残されています。



 国道2号線を大阪方面に向かってブラブラ歩きます。あの時脇にあるJRの線路では列車が脱線しておりました。たしか震災の翌日に今と同じ道を歩いていたのでした。

 あの故郷の苦境を目の当たりにして、当時大学生だった私は一生西宮の町と共に生きていこうと心に決めたのでした。その思いは強かったので、就職活動で心が折れそうになっても耐えることができたのです。


 西宮中央商店街の被害は甚大で、呉服店を営む親戚の家も全壊しました。阪神西宮駅の南には商店街のアーケードにかかっていた時計が保存されています。その時計の針はあの時間で止まったままです。この時計も6時を迎えることはありませんでした。

 この時計の針を見て、あの震災のことをしっかり心に残しておこう、そして自分自身の生き方の指針にしようと改めて思います。

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あの時間で止まったままの時計の針



 さぁ、休日ですからお日様の照るうちから一杯やりましょうか、といきたいところですが、今日はそんな気になれません。その理由は、追悼の厳粛な気持ちが99%、残り1%は痛風発作を怖れているからです。

 いやいや、号泣もいかんが虚偽もいかん。追悼の気持ち70%、痛風発作への怖れ30%に訂正報告いたします。




 
西宮での就職を考える学生諸君は、サクラナビをご覧あれ
http://n-cci.or.jp/sakuranavi/


 




 





by nishinomiyacci | 2015-01-17 18:20