こうすけの 門戸懐古談
こんにちは。こうすけです。
阪急今津線は沿線に学校が多いことから学生で賑わう路線です。そんな学生さんに混じって西宮北口駅から今津線に乗りますと次の駅が門戸厄神駅です。
わたくし事ですが、門戸はこうすけさんが社会人としての最初の一歩を踏み出した地なのであります。当時は緊張してガチコチに固まってロボットのように改札口を通っていたのでしょう。門戸厄神駅は神戸女学院の最寄駅ですが、女子大生の華やかな会話なんて聞こえていなかったんじゃないでしょうか。今では女子大生の会話に興味津々、耳そばだてて聞きただしますわよ。

阪急門戸厄神駅。こうすけには思い出の駅です。
全く緊張することなく気ままに改札を出て門戸厄神東光寺に向かいます。案内に従って畑の横の参道を北に向かいます。やがて道は左に折れます。坂道の手前にお饅頭屋さんがあります。「厄除まんじゅう」をお土産に買いますが、我慢もきかず一個頬張って坂道を登ります。

厄除まんじゅうをパクリ。厄除開運!元気百倍!
坂の上には「東宮殿下御野立所」と書かれた石碑があります。明治44年(1911年)この辺りで陸軍の演習があって、東宮殿下(のちの大正天皇)が演習を御観覧する御座所が設けられた由。西軍が甲東の丘陵に陣を敷き、東軍は武庫川を背に展開し、乃木大将が殿下に戦況を言上していたそうです。乃木大将自刃の一年前の話。
西宮にもまだまだ知らない場所があるのだなぁと思う一方、陸軍の演習が行われるなんて100年前には今見られるような家々はなかったんだろうなぁと昔日の田畑・草原の風景を想像してみます。

百年前ここで陸軍の演習がありました。
南門から東光寺の境内に入りしばらく歩きますと正門から中楼門に続く階段があるのですが、「女厄坂33段 男厄坂は正門下にあります」との看板が。偶然通りかかった若いお坊さんに「男は女厄坂を上ってはいけないのでしょうか。」と尋ねてみますと、そのような法はないとのこと。しかし、せっかくですから男厄坂も上っておきましょう。そのために一旦正門を出て男厄坂を下って、くるっと反転再度42段の男厄坂を上って正門をくぐり、女厄坂を上って中楼門をくぐります。

女厄坂を上って中楼門をくぐります。
本堂の前では信心深い人々が手を合わせています。ゆっくり歩いてお参りのおじいさんはきっと毎日通っておられることでしょう。後ろ姿から信心深さが伝わってきます。
そんな中それほど信心深くないこうすけさんは中楼門に下がる提灯を見て、「あっ!崑ちゃんだ!!」と大村崑の名前を発見して大喜び。

「あっ!崑ちゃんだ!!」
大黒堂と高野山の老杉の根である延命魂の間に名も無き小さなお堂?がありまして、社会人駆け出しのこうすけは門戸厄神の大祭の折このお堂で大活躍??していたのでした。というのも職場でも厄除け大祭に参加することになったからでした。
このお堂では厄除けの火箸やら腰ひもなどを売っていました。売っているのは檀家さんで、宗教的知識のない私はその補助。補助といえども門戸厄神の法被を着た私の主な仕事は30分に一度七輪の炭の面倒を見るくらい。睡魔がジワジワと襲ってくる頃、、、。
「あっ!崑ちゃんだ!!」
テレビで見る崑ちゃんの姿がそこに。崑ちゃんは睡魔をやっつけました。
しかし、崑ちゃんが去ると再び睡魔がやって来るのです。すると、、、。
「こうすけ君だねぇ。あっ、間違いない。」
声の発する方を見て、大祭の人混みの中にあったのは中学校の担任の先生の顔。先生はにっこり微笑み語りかけました。
中学校の担任の先生 「こうすけ君は仏門に入ったのね。厄神さんの法被が似合っていますよ。ニコッ。」
いやいや先生、そうじゃないんですよ。仕事の一環でして、、、。信心深くない私に僧侶という職など勤まりませんよ。
こうすけ君は仏門には入りませんよ。
思い出の門戸厄神東光寺をあとに北へ向かって歩きます。時折ゴーッという音が聞こえるのは山陽新幹線が通過するから。東光寺の北で山陽新幹線は六甲トンネルに入ります。トンネルの入口の上は公園になっていて真上からトンネルに出入りする新幹線を間近に見ることができます。この日も小さなかわいい鉄道ファンが新幹線を見て目を輝かせています。
ここから西、私の通っていた中学校の真下を六甲トンネルが通っており、今から四半世紀前、もはやかわいいとは言えなくなった鉄道ファン中学生同士で壮大な計画が立てられました。
鉄道ファンの友 「なぁ、この学校の下新幹線が通ってるの知ってるか?」
中学生のこうすけ 「知ってるよ。これからさぁ、休み時間に毎日ちょっとずつ掘ったら新幹線が見えるかもしれへんねぇ。」
鉄道ファンの友 「やってみるか。」
中学生のこうすけ 「うん。やってみよう!!」
当然ながら、この計画は二日目で頓挫。だいたいどれだけ掘るねん。それに中学生がトンネルに穴をあけることができるなんて新幹線の安全神話が轟音立てて崩れまんがな。しかしまぁ、なんておバカさんだったのでしょう。そりゃぁ先生もそんな不肖の生徒が仏門に入って全うに生きようとするならさぞかしお喜びだったでしょう。

新幹線が六甲トンネルに進入します。
新幹線公園を出て今度は東に進みます。やがて阪急今津線につきあたり、右折して南へ今津線の線路に沿って歩いて行きます。そして再び門戸厄神の駅に戻ってまいりました。さてさて、このあたりで一寸ひっかけましょうか。昔、会社の上司と通った居酒屋を訪ねてみます。久々だなぁ。酒の席で上司はいつも熱く、優しく、真剣に語ってくれたなぁ。いやぁ、感謝感謝でした。どんなことで叱られ、どんなことで褒められたのか懐かしむと自然と顔がゆるみます。
しかし、当該居酒屋はなくなっています。時の流れに流されてしまったのですね。こればかりはどうしようもなし。淋しさを感じながらブラブラしていると「手作り料理 たなか」の看板が目に入ります。手作り料理で身も心もあたたまろうと暖簾をくぐります。
こじんまりした清潔なお店に入りカウンター席に腰かけますと、、、、、、、、
「あっ!大将だ!!」
厨房に立っているのは昔通った居酒屋の大将ではありませんか。いやぁ、お久しぶりです。大将は場所を変えてお店を出していたのでした。味も昔と変わらず上品で優しい味。学生のアルバイトが調理するチェーン店の居酒屋では絶対に出会えない味です。
嫌な事も山ほどあって悔し涙したこともある社会人駆け出しの頃。そんな若輩をいたわる先輩・上司にいろいろと教えてもらった時に傍らにあった優しい味。味が優しいから人も優しくなって良き思い出だけが醸成されます。
料理が美味しいので酒もすすみます。懐かしい味が心に染みます。そうして門戸の夜は更けてゆくのです。

上品な揚げ出し豆腐。おいし~い!!
http://n-cci.or.jp/sakuranavi/
阪急今津線は沿線に学校が多いことから学生で賑わう路線です。そんな学生さんに混じって西宮北口駅から今津線に乗りますと次の駅が門戸厄神駅です。
わたくし事ですが、門戸はこうすけさんが社会人としての最初の一歩を踏み出した地なのであります。当時は緊張してガチコチに固まってロボットのように改札口を通っていたのでしょう。門戸厄神駅は神戸女学院の最寄駅ですが、女子大生の華やかな会話なんて聞こえていなかったんじゃないでしょうか。今では女子大生の会話に興味津々、耳そばだてて聞きただしますわよ。

阪急門戸厄神駅。こうすけには思い出の駅です。
全く緊張することなく気ままに改札を出て門戸厄神東光寺に向かいます。案内に従って畑の横の参道を北に向かいます。やがて道は左に折れます。坂道の手前にお饅頭屋さんがあります。「厄除まんじゅう」をお土産に買いますが、我慢もきかず一個頬張って坂道を登ります。

厄除まんじゅうをパクリ。厄除開運!元気百倍!
坂の上には「東宮殿下御野立所」と書かれた石碑があります。明治44年(1911年)この辺りで陸軍の演習があって、東宮殿下(のちの大正天皇)が演習を御観覧する御座所が設けられた由。西軍が甲東の丘陵に陣を敷き、東軍は武庫川を背に展開し、乃木大将が殿下に戦況を言上していたそうです。乃木大将自刃の一年前の話。
西宮にもまだまだ知らない場所があるのだなぁと思う一方、陸軍の演習が行われるなんて100年前には今見られるような家々はなかったんだろうなぁと昔日の田畑・草原の風景を想像してみます。

百年前ここで陸軍の演習がありました。
南門から東光寺の境内に入りしばらく歩きますと正門から中楼門に続く階段があるのですが、「女厄坂33段 男厄坂は正門下にあります」との看板が。偶然通りかかった若いお坊さんに「男は女厄坂を上ってはいけないのでしょうか。」と尋ねてみますと、そのような法はないとのこと。しかし、せっかくですから男厄坂も上っておきましょう。そのために一旦正門を出て男厄坂を下って、くるっと反転再度42段の男厄坂を上って正門をくぐり、女厄坂を上って中楼門をくぐります。

女厄坂を上って中楼門をくぐります。
本堂の前では信心深い人々が手を合わせています。ゆっくり歩いてお参りのおじいさんはきっと毎日通っておられることでしょう。後ろ姿から信心深さが伝わってきます。
そんな中それほど信心深くないこうすけさんは中楼門に下がる提灯を見て、「あっ!崑ちゃんだ!!」と大村崑の名前を発見して大喜び。

「あっ!崑ちゃんだ!!」
大黒堂と高野山の老杉の根である延命魂の間に名も無き小さなお堂?がありまして、社会人駆け出しのこうすけは門戸厄神の大祭の折このお堂で大活躍??していたのでした。というのも職場でも厄除け大祭に参加することになったからでした。
このお堂では厄除けの火箸やら腰ひもなどを売っていました。売っているのは檀家さんで、宗教的知識のない私はその補助。補助といえども門戸厄神の法被を着た私の主な仕事は30分に一度七輪の炭の面倒を見るくらい。睡魔がジワジワと襲ってくる頃、、、。
「あっ!崑ちゃんだ!!」
テレビで見る崑ちゃんの姿がそこに。崑ちゃんは睡魔をやっつけました。
しかし、崑ちゃんが去ると再び睡魔がやって来るのです。すると、、、。
「こうすけ君だねぇ。あっ、間違いない。」
声の発する方を見て、大祭の人混みの中にあったのは中学校の担任の先生の顔。先生はにっこり微笑み語りかけました。
中学校の担任の先生 「こうすけ君は仏門に入ったのね。厄神さんの法被が似合っていますよ。ニコッ。」
いやいや先生、そうじゃないんですよ。仕事の一環でして、、、。信心深くない私に僧侶という職など勤まりませんよ。

こうすけ君は仏門には入りませんよ。
思い出の門戸厄神東光寺をあとに北へ向かって歩きます。時折ゴーッという音が聞こえるのは山陽新幹線が通過するから。東光寺の北で山陽新幹線は六甲トンネルに入ります。トンネルの入口の上は公園になっていて真上からトンネルに出入りする新幹線を間近に見ることができます。この日も小さなかわいい鉄道ファンが新幹線を見て目を輝かせています。
ここから西、私の通っていた中学校の真下を六甲トンネルが通っており、今から四半世紀前、もはやかわいいとは言えなくなった鉄道ファン中学生同士で壮大な計画が立てられました。
鉄道ファンの友 「なぁ、この学校の下新幹線が通ってるの知ってるか?」
中学生のこうすけ 「知ってるよ。これからさぁ、休み時間に毎日ちょっとずつ掘ったら新幹線が見えるかもしれへんねぇ。」
鉄道ファンの友 「やってみるか。」
中学生のこうすけ 「うん。やってみよう!!」
当然ながら、この計画は二日目で頓挫。だいたいどれだけ掘るねん。それに中学生がトンネルに穴をあけることができるなんて新幹線の安全神話が轟音立てて崩れまんがな。しかしまぁ、なんておバカさんだったのでしょう。そりゃぁ先生もそんな不肖の生徒が仏門に入って全うに生きようとするならさぞかしお喜びだったでしょう。

新幹線が六甲トンネルに進入します。
新幹線公園を出て今度は東に進みます。やがて阪急今津線につきあたり、右折して南へ今津線の線路に沿って歩いて行きます。そして再び門戸厄神の駅に戻ってまいりました。さてさて、このあたりで一寸ひっかけましょうか。昔、会社の上司と通った居酒屋を訪ねてみます。久々だなぁ。酒の席で上司はいつも熱く、優しく、真剣に語ってくれたなぁ。いやぁ、感謝感謝でした。どんなことで叱られ、どんなことで褒められたのか懐かしむと自然と顔がゆるみます。
しかし、当該居酒屋はなくなっています。時の流れに流されてしまったのですね。こればかりはどうしようもなし。淋しさを感じながらブラブラしていると「手作り料理 たなか」の看板が目に入ります。手作り料理で身も心もあたたまろうと暖簾をくぐります。
こじんまりした清潔なお店に入りカウンター席に腰かけますと、、、、、、、、
「あっ!大将だ!!」
厨房に立っているのは昔通った居酒屋の大将ではありませんか。いやぁ、お久しぶりです。大将は場所を変えてお店を出していたのでした。味も昔と変わらず上品で優しい味。学生のアルバイトが調理するチェーン店の居酒屋では絶対に出会えない味です。
嫌な事も山ほどあって悔し涙したこともある社会人駆け出しの頃。そんな若輩をいたわる先輩・上司にいろいろと教えてもらった時に傍らにあった優しい味。味が優しいから人も優しくなって良き思い出だけが醸成されます。
料理が美味しいので酒もすすみます。懐かしい味が心に染みます。そうして門戸の夜は更けてゆくのです。

上品な揚げ出し豆腐。おいし~い!!
http://n-cci.or.jp/sakuranavi/
by nishinomiyacci
| 2014-11-04 23:42